「花馬(はなんば)」は毎年10月19日に多伎藝神社(たききじんじゃ)へ奉納される神事花(じんじばな)です。
大きな櫓(やぐら)に色とりどりの菊の折り花を付け、芯(しん)とよばれる人形を乗せた花馬を、大勢の男たちによって練り歩くとても勇壮なお祭りです。
多伎藝神社では、花馬以外にも「田植え囃子」「獅子舞」「神楽」などが奉納され、地方のお祭りとしては大変賑やかなものです。


動画紹介

田儀花馬~伝統の花馬神事を求めて~[花馬制作編]

毎年、多伎藝神社祭礼の約一か月前から、花馬保存会の会員によって行われる花馬製作・準備の様子をご紹介しています。


田儀花馬~伝統の花馬神事を求めて~[花馬奉納編]

10月19日、祭り当日の朝の準備から、町を練り歩き神社に奉納するまでをご紹介しています。


お知らせ

令和5年度の花馬奉納について

2023年11月

今年の多伎藝神社祭礼が行われた10月19日は、天候にも恵まれた祭り日和でした。
4年振りに規制の無い形で行われた花馬は、秋晴れの空に映える素晴らしい神事花となりました。
花馬保存会としても、このお祭りを末長く継承していかなければならないと、あらためて感じました。
写真ギャラリー2023も追加していますので、是非ご覧ください。
またこちらでも祭り当日の様子をご紹介頂いております。

2023年9月

今年の花馬は、コロナ前と同様に実施することになりました。
9月30日からの毎晩7時30分から、花馬館で準備を行います。
10月19日木曜日当日は、田儀寿会館前を出発し多伎藝神社を目指して練り歩きます。
久々に本格的な花馬による奉納神事を、是非皆さんで見に来て下さい。

令和4年度の花馬奉納について

2022年9月

一昨年、昨年と自粛をして参りましたが、今年は感染対策を行い実施する事といたしました。
10月19日水曜日、田儀寿会館前を出発し多伎藝神社を目指して練り歩きます。
華やかな花馬による奉納神事を、応援よろしくお願いします。

令和3年度の花馬奉納自粛について

2021年9月

今年の花馬奉納も、昨年に引き続き自粛する事といたしました。
来年こそは再開できる事を願っております。
多伎藝神社の秋の例大祭は、神事を縮小して行われます。

令和2年度の花馬奉納自粛について

2020年9月

今年の花馬奉納は、新型コロナウィルス感染症の収束が見えないことから、自粛する事といたしました。
誠に残念ではありますが、感染症の早期終息を願っております。
多伎藝神社の秋の例大祭は、神事を縮小して行われます。

JAしまね「地域貢献・地域活性化活動」受賞

2019年11月15日

JAしまねによる、令和元年「地域貢献・地域活性化活動団体」として、
田儀花馬保存会が選ばれ、11月15日に他の表彰団体の皆さんと共に表彰式が行われました。
副賞はこれからの花馬の為に、大切に役立てて行きたいと思います。

「山陰道・多伎〜朝山道路」開通イベント

2019年3月17日

「山陰道・多伎〜朝山道路」が平成31年3月17日(日)に開通しました。
同日行われた開通イベントのアトラクションとして「花馬」が披露されました。
当日の朝は雷雨の悪天候でしたが、イベントが始まる頃には快晴となり、素晴らしいイベントとなりました。
山陰道・多伎〜朝山道路開通イベント写真ギャラリー

TSKグループ「地域伝統芸能振興助成団体」

2018年11月6日

TSKグループによる、平成30年「地域伝統芸能振興助成金制度」の助成団体として、
田儀花馬保存会が選ばれました。
これからの花馬の為に、大切に役立てて行きたいと思います。

写真提供のお願い

本ホームページの写真ギャラリーに掲載する多伎藝神社のお祭りの写真をご提供ください。
ご提供いただける方は「問い合わせ」フォームからご連絡を下さい。
お待ちしています。

YouTube動画の公開

BSS山陰放送のご協力の元、YouTube動画の制作を行いました。
音声はフリーアナウンサーの山﨑瑞穂さんに吹き替えて頂きました。
準備編(全編18:17)、 奉納編(全編13:41)

花馬の由来

 多伎藝(たきき)神社蔵の古書によれば、延宝2年(1674)元文5年(1740)明治8年(1771)の記録に、当時は「作り花」としてあり、「花馬」の名前は出て来ない。
「作り花」と「花馬」が同じものであるのか、あるいは違うのか、はっきりわからないが、実際には「作り花」(「花馬」?)が神社祭礼の際、田儀の各地から繰り出されたようである。

これは現在のような大きなものではなく、長さ3メートル位の竹を十数本に割り、傘のように折り曲げて、それに菊や桜の折り花をつけたものであったという。

このように古く(延宝年間)から「作り花」があったところへ、宮本地区で桜井家が繁栄する頃、金屋子神社(かなやごじんじゃ)の祭り花は大型なもので、多伎藝神社の祭りにも奉納されていたようである。
後に町部の※頭屋(とうや)が毎年交代で祭礼のお世話をする事になった。

10月1日当番の家主が祭主となり、神主は白幣を祭主の家に飾り、庭には榊を立て七五三縄(しめなわ)を飾り、村内の安全と五穀豊穣を祈った。
そして、祭礼の際には、その白幣を花馬の真にして神事花として奉納したとも言われている。
当時は道も狭く、先導するものは道端の木の枝などを一つ一つ切りながら、時間をかけて神社に向かったようで、時には川の中を担いだものといわれている。
昔は宮ノ下で一休みし、神社からの迎えを待っていた。

神社は白幣が上がらぬと神事ができなかった。
したがって、神社は酒き肴を用意して出迎えにいき、白幣が上がると神事が執り行われることから、一説では神事花とも言われる所以である。
現在は頭屋の家主が、白幣を直接車で奉納している。

※頭屋:その昔、産土神多伎吉姫(うぶすなのかみたききひめ)が大国主命の命により、田儀浦に上陸の由来にちなむ、湊浜屋敷(みなとはまやしき)の25屋敷が祭礼等の主宰者となる家が決められている


花馬の形態

田儀花馬の形態は、斐川郡一円の花馬と大差はないが、基部の土台に当たるところに、大きな違いがある。
四本の桧丸太に、上下8本の杉丸太(貫き)で櫓(やぐら)上に組み、釘などは使わず、全て紐縄で固く縛る。そして、組み上げた四隅の柱の中央に、真柱を立て、それに割り竹を傘状に取り付け、菊の折り花を付け、真柱の最上部には、真と呼ばれる人形が飾られる。

地方によっては、台の部分が俵のみのものや、櫓組みもあるが簡単なもので、四方から竹棒で支えるだけのものもある。それは練り形の相違ではないだろうか。

当地の花馬は、前述の櫓状の台に、長い長い棒を縄で縛り、音頭に合わせて路面を擦るように、左右に回しながら動かして練って歩くやり方である。出来上がった花馬は、700~800キロもの重さにもなるため、しっかりしたものを作らないといけない。そのため、台組のロープ締めは幾重にも巻いて、トントンとかけやで叩いて固く固く締め上げる。真柱の上部を麦藁で巻き、それに真竹の大串を60本巻き付け傘状に垂らす。一方その上に上向きに小串を35本取り付ける。大串には折菊、小串には桜花を付けている。

次に真柱の上に付ける真であるが、これは非常に重要な意味をもつもので、昔は「白幣」又は「榊」を使用していたが、現在は人形を付けている。その人形も明治から昭和初期までは、出雲市知井宮町の人形師に作らせていたが、今では保存会の会員が、毎年会員の意見を集約して、その年人気のあった人の人形を制作している。

台組の四本の桧丸太が、四つ足の形になるので、そこから花飾り馬に擬し、この名があるとも言われている。

祭りにふさわしい賑わいには、花馬を曳く時の音頭と囃子が必要であるが、音頭は出雲一円で謡われている木遣音頭を使用している。
この音頭は昔田儀の湊から船で出入りしていた船頭が、北陸地方から伝授して帰り、この地に定着したものだと、古老からの言い伝えである。

大串に付ける花は、いかの大量の時はするめをつけたり、はやり病がある時は各家から人形を出して飾ったりした事もあったと言う。

花の練りは勇壮で、観客も拍子をもって見守る。圧巻は、お宮の階と拝殿である。拝殿前では別記のとおりの神事花としての所作である。
これは今でも伝統として受け継がれている。

祭りの日程

毎年10月19日 ※少雨でも行われます


当日の工程

保存会の活動

昭和47年、田儀地区伝統の花馬神事が数年間途絶えた事に鑑み、有志13名の先輩方の熱意で保存会を結成し、現在に至る。

保存会は地域の住民と密着し、若者の未来を託し、希望者は誰でも入会できる。

毎年、多伎藝神社の祭礼日である10月19日に合わせ、約1ヶ月間の準備期間を設けて花馬を作成し、田儀町部から神社までの工程約5kmを練り歩く。
最近は花馬の魅力にひかれ、そして地域の和の一員にと希望する若者が多く入会し、今では100近い会員数となっている。

近年では10月19日以外にも、田儀小学校閉校イベントや山陰道・多伎〜朝山道路の開通イベントにも招かれ、イベントを盛り上げる事にも一役を買っている。

また、毎年テレビ局や新聞社からの取材を受け、話題性の高い行事となりつつある。

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